早いものである。本組合に足を運ぶようになってから、5年の時間が過ぎようとしている。
振り返ってみるが、注力したものは何だっただろうか。なかなか見つけることができないでいる時に、広葉樹の純林と遭遇して気づいた。50年も前に薪炭林として収入を得ていた山々はどうなっているだろうかと。
令和5年の夏、私たち林業にかかわるものは思わず耳を疑った。第三次ウッドショックである。木材(丸太)の価格が50%近くも値上がりしたが、長くは続かなかった。半年で元の価格に戻った。
昭和30年代から始まった、国土を緑にすべく国を挙げての拡大造林、今や当時植えられた小さな苗木は樹齢70年を数える。
現実に戻り、日本は少子化の波が押し寄せ、歯止めの策すら探すことはできず、労働生産人口も年々減少し、人手不足の状態が続いている。新規の住宅着工率は右肩下がりで当面上向きになることすら期待できない。
先人が国土を緑にすべく植栽された木々は利用されないまま、高樹齢になり、その面積は私たちがフィールドとしている管内でも相当な面積である。手塩にかけた植栽木は利用されないまま朽ちていくのだろうか。心配の連続である。
多くの山々が、当時の豊富な人の手によってスギやヒノキを始めとする針葉樹の山に変わってから半世紀が過ぎた今日、樹種転換が行われる前の山々の姿はどうだったのだろうという思いが昨今強くなってきている。
遠い昔の記憶を辿ってみたいと思う。昭和30年代の前半、中学生だったころの春休みのことである。両親が冬の期間、町から薪炭材の払い下げを受けて何日も山泊で炭を焼き、生計を立てていた。
ひと冬分を「そり」を使って車道までの運搬作業であった。1回の運搬は炭俵30俵であったような記憶があるが1日2往復が限度である。父親が手鋸で40㎝くらいの広葉樹を倒し、それを玉切りして、その場で斧で割りそれを窯に立て込むのである。
それら伐倒される前の広葉樹の山々は重々しく立派な林分の山々であった。毎年炭を焼く量を決めそれを数十年も先代から繰り返す「法正化」であった。
そんな山の文化が消えてから半世紀も過ぎてしまった。そんな昔を思い出しながらそれに打つ策もないまま、時間だけが流れている現実にむしろ苛立ちさえ感じていた。
そんな時、3年前「中山平」も共有林の代表者から「私たちの山を見て何か考えてくれ」との連絡があり、わくわくしながら現地を見せていただいた。面積は50haとのこと。針葉樹と広葉樹の比率は60%が広葉樹であった。針葉樹林(スギ)には心が動かなかったが、広葉樹林に入って心が躍った。「今時このような感動したコナラ主体の林分が存在するとは」生活の糧の場であった炭焼がこの地から消えてから年月の長さを改めて心に刻んだ。
本来であれば山と共に生活を営んできた所有者も高齢化そして過疎化の大きな波にもまれ、目の前の生活に注力しなければならない状況下、とても先祖が残してくれた自然資源の管理、手入れまでできない状態に陥っているのである。それにより源流域の地がそのような中では、水を供給する水源の森は荒廃の一途をたどるばかりである。
その矢先、農林中央金庫の森力基金による、森林再生基金の存在も知り、関係機関と協議を行い、応募の申込を行い、広葉樹林の再生に向けての挑戦することに決しました。
主なメニューとしては、針葉樹(スギ林分)について久しく手入れが届かなかった地に利用間伐のための作業道を入れる「お決まり」の施業。時に私たちが重要視したのは50年余も放置されてきた広葉樹林(コナラの林分)の再生です。従来であれば広葉樹林は自然放置の結果を私たちが陰に陽に利用させていただいた林分です。それに再生目的で手を加えるということには共有林の所有者の理解を得るにも時間を要しました。
事業の主たる目的は自然が営んでいた天然下種更新と萌芽更新です。
天然下種更新については上層木が結実し、実を地上に落とし、その実が自然発芽という自然が織りなす、工程が必要となります。幸いにして事業年度はブナを始めとする広葉樹の結実周期に合致し、当該地はコナラを始めとし、多くの樹種が実をつけてくれました。それが落下し、林分には多くの稚樹が芽生えてくれました。
また萌芽更新についても大径木化したコナラを始めとする広葉樹を伐採し、その切株から新芽が出ることを期待し越年させ、期待度を高めて待ち臨んだ翌春、多くの切株は私たちの期待に応じてくれました。
林床ではドングリが発芽し、切株からは新しい萌芽が発生し、私たちの試みは成功したと思っていましたが、これらは森を形成する、序章であって数十年で作られる森の1コマにすぎません。阻害用件として新たに出てきたことはせっかく芽が出てきた稚樹は他の樹種の樹冠下と笹の繁茂が問題となります。又萌芽についてはひとつの伐根から多くの新しい命が生まれて来ているので、新しい命への栄養の補給元が限定されます。新しく芽生えた子達は来期以降生育をめぐる競争が激化することが想定されています。株内の栄養は限られています。
親は朽ちていき、数年後には新しい芽も自然枯死することが想定されます。薪炭作業全盛期には全く考えもしなかったことが、豊かな広葉樹を残すべく人為的に手を施す新たな施業が必要になってくる時が近づいております。
外に針葉樹林分を伐採し、その跡地に天然下種更新での広葉樹林の再生、又は同じく針葉樹林分跡地に「少花粉スギ」の植栽等々、多くの実証を行いました。しかしこれからが「正念場」であります。多くの課題があることに気づきました。長い年月が必要となりますので、全国各地で山村の「疲弊」が叫ばれて、それらが過疎に進化し、森林所有者の生活にも支障をきたしている中で私たち地域の森林所有者と信頼という土台に立ち「山を守り、森をつくる」森林組合の役割は日々大きくなっています。
令和7年はブナを始めとする、広葉樹は不況ということで結実しないとの理由で熊は郷の生活に馴染んできたとの報道、果たしてそうだろうか。
一部の認者の話では結実のサイクルが従来の周期に変化が生じている。その理由として地球温暖化の影響があるのではないかとの論も取り沙汰されているが、結実あっての下種更新、伐採された根株あっての萌芽更新、これら条件を揃え整えることに、今迄は考えられなかった人為的手段を加えることにより、水資源涵養機能並びに土砂流失防備に役立つことを期待し、今後も実証の経過を追い続け、今迄の林間には存在が確認されなかった樹種をも含め、主々種固有の樹形を尊重し「樹冠の譲り合い」の時間を経て、形成される、広葉樹林の新たな森づくりに挑んでいる。


